年末年始は量子状態?――ゼロ秒で切り替わる「新しい自分」の正体

年末年始というのは、毎年やってくるのに、どこか一度きりの実験みたいな顔をしている。
私は最近、ふと「これって量子力学っぽいな」と思った。
量子力学では、物事ははっきり決まる前に重ね合わせの状態にあるという。
猫は生きていて、同時に死んでいる。
じゃあ年末の私はどうかというと――
「今年も何もできなかった自分」と
「それなりに頑張った自分」が、同時に存在している。
大掃除をする前の部屋も、量子的だ。
片付いている未来と、永遠に散らかった未来が、まだ確定していない。
観測(=掃除)した瞬間、現実はひとつに収束する。
だから私たちは、なるべく観測を遅らせる。
シュレーディンガーの段ボール箱である。
年が明ける瞬間も、不思議な境界だ。
カウントダウンの「ゼロ」は、時間が飛び越える量子トンネルみたいなもの。
昨日と今日の間に、明確な壁はないのに、
なぜか人は「新しい自分」になった気がする。
初詣に行ってお願い事をするのも、
実は波動関数へのそっとした介入なのかもしれない。
「こうなったらいいな」という願いを、
ほんの少しだけ現実側に偏らせる。
確率を1%上げる程度でも、人は安心する。
面白いのは、新年の抱負だ。
立てた瞬間は、続ける自分と三日坊主の自分が重なっている。
1月3日あたりで観測が入り、
ほとんどの場合、後者が確定する。
それでも毎年立てるのは、失敗を知っていても実験をやめない科学者の姿勢に近い。
量子の世界では、完璧な予測はできない。
でも「揺らぎ」があるからこそ、宇宙は固まらず、変化し続ける。
年末年始のぐだぐだも、
未来へのノイズとしては、案外悪くない。
何もしない正月も、食べすぎる三が日も、
来年のあなたを少しだけずらす微小な作用だ。
大きな意味なんてなくていい。
観測されなかった可能性たちは、ちゃんとあなたの中に残っている。
年が変わる瞬間、私たちはみんな、
「どうなるかわからない」という美しい状態に戻る。
それは不安でもあり、自由でもある。

答えは急がなくていい。
量子は、だいたいゆっくり決まる。



















